寺沢功一 Interview Part 2

SLY始動

セッション活動をしていたけどちゃんとバンドをやりたいなと思って、僕はRANを誘ってBLIZARDとは違うバンドを始めようとしたんだ。頭の中に構想があって当時LOUDNESSを辞めていた樋口っつぁんにドラムを叩いてもらってVAN HALEN的でテクニカルなバンドの構想を描いていた!そんな矢先に「樋口っつぁん(樋口宗孝)」から電話がかかってきたの。朝の5時に!(笑)それで第一声が

樋口「樋口やけどお前髪型どないやねん?」。

いきなり髪型どないやねんって始まったの(爆笑)

寺沢「な、長いですけど…」

樋口「これこれこういうバンドが始まるんやけどやるか?」

寺沢「あ、是非やります!」

樋口「じゃ音出そうや。○月●日スタジオ来てや!資料は後で送るから。ほなな!」

寺沢「えーっ!?」

これ朝の5時にあった(笑)それで約束の日にスタジオ行って、樋口っつあんに気に入られて一緒にやることになった。怒涛のSLY時代の幕開けですよ。

大変だったね。この時は僕自身音楽に対して甘いところが沢山あって、そんな時にあの超プロ集団の中に「まあまあ弾けるぜ?」みたいな感覚のやつがポッと飛び込んでいったもんだから鼻をへし折られて、それはもう色々勉強をさせてもらった。樋口っつあんから凄いボロカスに言われてた(苦笑)

他のメンバーの皆さんより少し後輩という感じでしたよね。

4つくらい下だったかな。「毎日が勉強!」という感じで大変だったよ。

実はSLYの活動って3、4年だったんだよね。本当濃い時間だった。あの時の経験があったから今の自分があるといっても過言ではない。経験していなかったら今でも軽いベーシストだったかもしれない。

プロとしての自覚が改めて芽生えた?

これまでもプロという自覚はあったけど、SLYに入った時に「自分は甘かったな」と思うところが多々あり、例えば海外のレコーディングを通してプロとしてどうあるべきか、ロックミュージシャンとしてどう生きていくべきかみたいな精神的な部分が鍛えられた感じがする。あの時はしょっちゅう樋口っつあんに怒られて「チクショー、この親父―!」と思っていたけど、今ではもう感謝しかないですね。勿論SHARAや「ニイちゃん(二井原実)」に対してもそうだし、レコーディングに関わってくれた「Max Norman」もそうだしね。Maxのレコーディングも大変だったのよ(苦笑)

最近「Thunder In The East」の当時の裏話が公になっていますよね。

そう、ニイちゃんが当時あのアルバムはレコーディングの辛さからトラウマで聴くことが出来なかったって言ってたじゃない?それが最近になって聴けるようになって本当に素晴らしいアルバムだなと思ったと言っていたんだよね。それをFacebookで繋がったMaxにそのことを英語に訳して送ったんだよ!そうしたら直ぐに返事が返ってきて「俺、二井原に悪いことしたかなあ?」って(爆笑)「いやいやいや、あなたは本当に素晴らしい仕事をしたんですよ!」と返したけどね。

あの時代のプロデューサーの作る音はリスナーの求めているサウンドを作ってくれますよね。

そういう人達のプロデュースした作品は古い曲でも今でも古さを感じなくて良いと思えるよね。多少当時の流行があるけど不変的な音の良さを捉えてくれるよね。2ndのプロデューサーである「Chris Lord-Alge」「Joe Cocker」「Tina Turner」の作品とかもやっていた人なんだけど、全部Chrisに任せてアルバムを作った結果、他のChrisの作品と同じようにやっぱり今聴いても聴き劣りしないというか、流行に囚われず楽器の持つ特性や持ち味を引き出してくれた。料理の話みたいだけど(笑)素晴らしいプロデューサーの作る音は不変的な音の良さがある。また繋がれたマックスとも何かやれたらいいと思うけどお金が問題だよね(笑)

親にプロでやっていくことを話したことが人生のターニングポイントだと話したけど、SLYをやっていた3年間を振り返るとSLYを始めたことは第2のターニングポイントだよね。

 

次に始めたのは?

BLIND PIGかな。最初は僕のソロということで始まり、女性ギタリストがいるとかっこ良いと思っていたから「sun-go☆(五十嵐美紀 SHOW-YA)」に声をかけ、「遠藤(正明)」に歌ってもらった。レッズの清史とバンド(SEEPLE JACK)をやっていたから清史を通じて知り合ったと思う。その時「影山(ヒロノブ)」さんに「遠藤を宜しくな!」って言われたなあ。

記念すべき1st Album。中々レア、中古でも良いお値段。

ドラムは樋口っつあんのローディーをやっていた「山内康雄」にお願いをして、もう一人のギターはその双子の兄弟のタケオにやってもらった。また双子かよって話だけど(笑)

BLIND PIGの後に「RIDER CHIPS」が始まるんだよね。

その後に色んなバンドが生まれては消えてを繰り返して、今動いていないのも含めると7個位あるかな?

うぃっす(KISSのカヴァーバンド)、BLIZARDトリビュートバンド、NOVELA、「OSAMU MEYAL 80’S」「音屋吉右衛門寿」「TAGAWA」「mintmints」「Punish」「Show-Chu-Rock」「Happy Hoppys」

 

今はRIDER CHIPSを中心に活動しながら他のバンドをやっているという感じですか?また一番長く続いているバンドではないですか?

16、17年やっているんじゃないかな?もうすぐ20周年なんだよね。

また昨年レポを書かせていただいたオサメタのライブを見ましたがあまりの完成度と熱気に驚いてしまいました!

濃かったよね。あそこまでちゃんとやるコピーバンド無いでしょ?曲によっては本家もやっていないような曲をやってたりするし。

 

僕達はCDで聴いた時に感じた高揚感を再現しようとしている。だから基本的には変にアレンジせずに再現して「あの頃の興奮をもう一度」味わってもらいたいね。

そこでまさかの寺沢さんの歌もありました。

あれは本番前最後のリハーサルで「ベーシストが歌ってるから寺ちん歌ってよ」と言われて決まったんだよね。本番2日前のスタジオ練習でだよ?その時はワンコーラスだけやったけど明らかに本番まで時間が足りないよね(笑)でもそこで僕は「無理」と言わないように、断らないようにしているんだ。

以前にやっていた頃、自分の中でベースをプレイすることに関しては怖いものは無くなってきていたのね。ミュージシャンとして次は何だ?と思ったときに「歌」を歌えるようにしようと思った。こうして志したのだからこの時も「わかった!」と答えて翌日近所のスタジオ借りて猛練習(笑)

オサメタだと無茶振りも多くて、僕もコーラスが出来ること前提で話が進むの。「どこ歌うの?」って聴くと河野君からココだってキーボード叩いて音を教えてくれる。すると「じゃやろうか!」と何も練習しないでいきなり始まるから焦る(苦笑)

他にもキーが高くて出ないよって時に河野君から「3度下げればええやん」と言われて頷くしかなかったりね(笑)

こんな感じでオサメタも修行の場になっている。辛くはないけど厳しくて大変(笑)でもその分楽しくて、この前のインタビューで答えたように学校の軽音楽部の活動とかみたいに皆で作っていく感覚がある。

これといったプレッシャーもなく楽しんでいるのが伝わってきます。

でも人前でやるし、高いチケット代を払ってお客さんが見に来てくれるわけだからプロのクオリティで見せられるものをやっている。プロの演奏としてちゃんとしながらも、やっている本人達は楽しく出来ているところがオサメタの凄いところ。それはこのメンバーだからこそやれていると思っている。

改めて思うと僕が今やっているバンドはそういうバンドばかりだね。

これまで無かった自分の中の引き出しが開けられていく、という感覚ですか?

どのバンドも煮詰まることが無い。曲を作るときもサクサクっと進んでいく。それだけのことが出来るプロフェッショナルがいるからなんだけど、今動いているバンドはストレス無く、やりがいのある環境で音楽が出来ているので凄くありがたいと感じています。

そういうメンバーが揃っているのでちょっと問題が起きても百戦錬磨の大人達だから直ぐ対応してトラブルを防ぐし、ケンカも起こることがない。

曲やこれまでの活動で印象に残ったエピソード

BLIZARDの「Orion」は寺沢さん作曲ですが、この曲のエピソードなど聞かせてください。

この曲はANGEL KISSの時には既にあった曲で、厳密に言うと僕と市村タカアキの曲なんだ。ここの記憶が少し曖昧なんだけど、BLIZARDになってアルバムに入れようとなった時クレジットにメンバーじゃない人の名前を載せるのはどうだろう?という意見があった。BLIZARDでやることになり、RANがアレンジをしたから「作曲 松川敏也・寺沢功一」にしようということになった。勿論タカアキにこのことを説明したらこの表記にすることを承諾してくれた。

ANGEL KISSの頃のOrionはどんな感じだったのですか?

当時のタイトルは「Farewell To Orion」でもっとコテコテなリフものだった。そういえば一度ANGEL KISSでTVに出たことがあって、原田真二さんが司会の番組にアマチュアバンドを紹介するコーナーに出てOrionを演奏した。このコーナーにはデビュー前でsun-go☆が加入する前のSHOW-YAも出ていた!

Orionに対する自身の思い入れは?

僕が18の時に作った曲で、それがデビューアルバムにも入って今でも好きと言ってくれる人がいる。個人的にやっているセッションで参加者に歌いたいと言ってもらえたり、元ANTHEMの「坂本英三」も好きと言ってくれてね。こう支持してくれてありがたい話だし、僕にとって大切な曲。

改めて寺沢さんの作った曲を聴くと洋楽っぽさが無い、日本のRockという曲を作られてるなと思いました。

ごく自然に出てくるものを形にしているだけなんだけど、一番考えていることはキャッチ―であること。つまり皆で歌える歌ってことね。RIDER CHIPSに「Bang! Bang! Revolution」という曲があるんだけど「初めて聴いた人でも歌える曲」というコンセプトで作った。最初バンドに持っていくときに可愛らしい曲だし「よっちゃん(野村義男)」に受け入れてもらえるか不安だったけど「良いじゃん!」と言ってくれたね。アレンジはパンキッシュにしたかったんだけどよっちゃんの好みもあってポップに仕上がった。これはこれで良いよね。

僕はこの曲について皆で歌えるとか何も説明しないで曲だけ出しただけだったんだけど、曲を聴いてよっちゃんは僕のコンセプトを全部理解してくれて「まさしくその通り!」という歌詞をつけてくれた。

この曲を作ったのはRIDER CHIPSにこういう曲が無いと思って、ライブ中に皆がサビを一緒に歌ってくれる、そんな光景を思い浮かべて作ったんだ。それでこの曲を発表した後のライブで演奏したら思い浮かべた光景がそのまま現実になった。「キタ!これだ!」と感動したなあ。

僕の作る曲はどんなにハードな曲だったとしても「ポップでキャッチ―であること」が根底にある。

これまでの音楽人生で印象的な出来事を教えてください。

BLIZARDがデビューした頃墨田区の墨田祭りというお祭りで、広い公園にステージ作って野外イベントに出たときなんだけど、アマチュアバンドの後にプロがライブをする流れになっていてBLIZARDもプロの2番目くらいに出たんだ。アマチュアバンドの最後ににはsun-go☆が加入する前のSHOW-YAも出ていたんだよ!

それで僕らの番になって音を出した瞬間、それまでまばらにステージを見ている人だけだったのが一気に人が押し寄せてきた(驚)3,000とか4,000人位の物凄い人数だったかな?ステージに押し寄せてきて転ぶ人はいるわ、喧嘩する人がいるわ、物投げつける人もいるわで主催者が「これは危ない」と思ってPAから出している音を全部カットしたの。僕らはステージにいたからそれに気づかなくて、「何か来た(恐)」ってスタッフに呼ばれるまで演奏を続けていたんだけどあれは凄かったね。結局救急車も来て怪我人続出で物凄かった(汗)

他には目黒ライブステーションの観客動員記録をBLIZARDが持っていて、未だに破られてないんだけど、その時のライブは怖かった。お客さんで揺れて、最前列の女の子なんか押し潰されてぐったりしているし「大丈夫かこれ?(汗)」と気が気でなかった。

SLYでは何かありますか?

SLYは海外に行くことが多くて、アメリカのロサンゼルスにあるファンデーションフォーラムのイベントに2回呼ばれたことがあるんだけど、1回目はホテルの大広間みたいなステージで演奏して、2回目はロサンゼルスにあるライブハウスで演奏したんだ。日本のデビューしたてのぺーぺーのバンドが行ったもんだから、通常アメリカでは夜8時とかからライブが始まるんだけど6時頃の出番にされたもんだからお客さんも少なかったんだ。そんな中客席の後方で滅茶苦茶盛り上がっている女の人がいて「女神様のような人がいる!誰なんだろう?」なんて思っていたら「アン・ルイス」だった(笑)ライブ終了後楽屋に「お疲れ様ー!」って尋ねてくれたんだけど、「SLYさあ、カッコいいんだけど変拍子が多くてノれないんだよね」なんて辛口コメントをもらったり(笑)でも凄く楽しんでくれたみたい。その後自宅に遊びに行ってご飯ご馳走になったり、これが縁で日本に帰ってからアンさんのイベント「アンコール」に呼んでもらって出させてもらった。「アンコール」はアンさんが呼び掛ける(Ann Call(コール))とアンコール(Encore)をかけているんだよね。

デビューライブも大変だった。会場が中野サンプラザだったんだけど内容がとにかく濃かったので、舞台監督が普通1人のところを照明とか各セクションごとに立てたから5、6人もいた。照明とかも「MOTLEY CRUE」が来日したときに使ったものをそのまま使ったりとかなり派手にやった。

YouTubeに上げられていますけどTV番組に出演されていましたよね。

「daiba:ba」ね。思い出すのは初めて髭を剃ったことかな。SLYでデビューして以来ずっと髭を伸ばしていたんだけど、リハーサル終わって本番前って時に剃ろうかなと思って樋口っつあんに聞いたら「ええんちゃう?」て言ってたから剃っちゃおう!と思って剃っちゃった(笑)

SLYの曲についてですが、アンさんが話されていたように変拍子があってキメが多いのが特長だと思っているんですが、やはりこれは当時のSHARAさんの音楽性がこのような形だったのですか?

Heavy Metalというのはキメが多い音楽だからね。基本的に曲作りは樋口っつあんとSHARAが中心に作っていたけど。

実は3rdの「Key」で変拍子をよく取り入れていたんだよね。変拍子が多いイメージがあるかもしれないけどそれまでのはそこまでではなかったと思う。

あれ、そうでもない?(笑)

EARTHSHAKERやBLIZARDを聴いてきた人達からするとその違いは大きいですよ。この2バンドはメロディアスでキャッチーな曲が多かったので。

確かに比べるとちょっと難解だったかもね。

それまで自分達がやっていたことと違うことをしようと考えてやっていたところがあるからそういう要素があったかも。でも…………いや、(SLYは)難しいんだけどね(笑)

Keyが一番大変だったかな。Maxもアレンジに携わっていたから。

TVで演奏されていた「Mass Media」も変拍子が入っていますが、個人的にも凄く好きな曲なんですけどあの難解さはTVでやるような曲じゃないですよね(笑)

違うね(笑)

イントロの部分も本来はホーンセクションがやるフレーズをベース、ギターで弾いているんだよね。Rock系ではやらないようなことをしようというMaxの意向だったの。MaxはJazzとHeavy Metalの融合を考えていたみたい。Keyのアルバムを聴いてJazzは思い浮かばないかと思うんだけど、Free Jazzと言ったら良いのかな?Maxの指示が出て「無理だよっ!(汗)」という感じでやってたなあ。アルバムにある「Magic Blood」という曲をたまに聴くんだけど「てらちんよく頑張った」と褒めたいね(笑)

これまでのキャリアの中でもトップに入るくらいの難易度ですか?

難しかった!1曲録るのに6時間くらいかかったもん!SLYでの3年間は本当に濃かった。

続いてベースについて伺います。寺沢さんのベースは最近流行の前に出て曲をグイグイ引っ張る派手なプレイをするタイプではなく、シンプルに弾いてドラムと共に他のパートを支えているという印象ですが、どういったプレイを心掛けていますか?

若いころは僕もハードで派手なプレイをしていたよ。最近の傾向としてベースが前に出て引っ張ると言っていたけれど派手だからそう感じるだけで、一聴地味なベースでも曲を引っ張っているのは実はベースなんだよね。

僕は「ギタリストとボーカリストを自由にさせてあげること」がベースの役割と常日頃考えている。そういう意味でいうと話していたようにプレイがシンプルになるんだよね。でも曲の主導権はベースが握っているというのが面白いところ。ベースのリズムの捉え方によって曲がガラッと変わるし、ベースの影響力というのは大きい。昔は派手なことをやって自分というものを表現しようとしていたけど、最近はリズムのアプローチの仕方で楽曲に色を付けていってベースでバンドを引っ張っていく。そこに面白みを感じている。要求されて派手なプレイをすることもあるけど、今はそういうところの興味はあまりないかな。

これからもっと増やしていく予定なんだけど、今自分がこれまでにプレイした曲を実際にただ弾いているだけの動画をYoutubeにアップしているんだよね動画を見てくれた人にベース本来の役割というものを伝えたくて、知って欲しいと思って始めたんだ。楽曲の中でベースは聴き取りにくくて奥に引っ込んだ感じになっちゃうけど、動画ではベースという楽器をフィーチャーしてどうやってギタリストやボーカリストを支えて、どのように楽曲を華やかにしているか、その仕組みを少しでも多くの人に理解してもらえたらと思っている。

寺沢功一 Youtube Channel

現在個人でも音楽のスクールをされていますが専門学校とどう差別化をしているのですか?

スクールを始めたのは、前にESPの専門学校で人に音楽を教えるということを初めてやって、そして今は尚美ミュージックスクール専門学校で教えているんだけどこれまでの経験から「プロミュージシャンが正しい技術を伝えていくこと」は大事な仕事だと感じたんだ。プロミュージシャンの中には学校の先生はアルバイトだと言う人もいるけれど、僕はそうじゃないと思ったのね。学校の先生をやっていると酷い弾き方をして大変なことになっている生徒に沢山出会う。それを正すのが我々の仕事なんだけど、学校だと思うように行かないところが出てきた。具体的に言うと週一回の授業があって何人もの生徒を相手に教えるわけだけど、こういう制約やカリキュラムがあって僕の思うように出来ないところがあるんだよね。勿論そこで他のパートの人も沢山いて学校内でバンドを組んだり良いことも沢山あるけどね。

それでもう少し踏み込んで「僕はこうやるよ」というのを教えるために個人でもROCKSTAR MUSIC SCHOOLというスクールを始めた。最初ベーススクールだけだったけど、ボーカル等他のパートも増えて今の形になった。

正しい演奏が出来るとより音楽が楽しくなってくるんだ!それを知らないまま楽しいと言っている人が多くて「もう少し頑張ればもっと楽しくなるのに勿体ない」と僕はむず痒くなっちゃう!それで僕のスクールではその「もう少し」を教えているんだ。教えた生徒に「どう?」と聞くと「楽しいです!」と返事が来る、「でも大変でしょ?」と聞くと「大変です(苦笑)」と答えがくる(笑)プロミュージシャンはその大変をいつもやっているけど、続けていればそれが身に付いて大変じゃなくなってくるから、それまで頑張れば常に楽しくなるんだよね。こう細かいところまで教えるためにマンツーマンで教えている。

今ベーシストが少ないみたいなんだよね。僕が講師をしている尚美ミュージックスクール専門学校でもそう感じるし、他の学校でも少なくなっているみたい。それもあって僕の動画ではベースの重要性や楽しさやカッコ良さを伝えてベース人口を増やしたいね!

 

寺沢功一 Official HP
寺沢功一 Official Twitter
寺沢功一 Facebook

投稿者: 管理者

音楽に興味を持ってもらうために音楽自体へフォーカスする他、別の角度から音楽へ興味を持ってもらえるよう情報発信していきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です