寺沢功一 Interview Part 1

寺沢功一

1984年Hard Rock バンド「BLIZARD」のベーシストとしてデビュー。
1992年にBLIZARDとしての活動を凍結。
1994年二井原実(ex-LOUDNESS)、石原愼一郎(ex-EARTHSHAKER)、樋口宗孝(ex-LOUDNESS)と「SLY」を結成。
2000年に自ら率いるバンド「BLIND PIG」結成、野村義夫(ex-THE GOOD-BYE)と宮脇”JOE”知史(44MAGNUMhide with Spread Beaver、ex-ZIGGY)と共に「RIDER CHIPS」結成。
ロックベーシストとして現在まで第一線で活躍し、現在は尚美ミュージックカレッジ専門学校にて講師を勤める他、自身が代表を務めるROCKSTAR MUSIC SCHOOLを開校するなど後進の育成にも力を入れている。

音楽に興味を持ったときのこと

ロックベーシストとして活躍されている寺沢さんですが、その音楽人生を聞かせてください。まず始めに音楽に興味を持った時のことを聞かせてもらえますか?

所謂ロックというものに目覚めたのは中学生の頃だけど、生まれて始めて聴いたレコードは5歳頃で、お婆ちゃんが買ってきた「いしだあゆみ」「ブルーライト・ヨコハマ」のシングルレコードをポータブルレコードプレーヤーで一緒に聴いたのが最初に音楽と関わった瞬間かも。勿論子供番組とか子供向けの童謡とか歌っていたと思うんだけど、所謂歌謡曲というかPopsというか……Light Musicみたいなものと初めて接したのはいしだあゆみ。

それから暫く音楽に興味は無くて、小学校時代は絵を描くことが凄い好きで漫画を描いていた。自分で連載ものの漫画を描いたりね(笑)それで小学校6年生の時に洋楽に出会うんだけど、当時ラジオが凄く流行っていて「セイ!ヤング!」とか「オールナイトニッポン」「かぜ耕士のたむたむたいむ」を聞いていたよ。同世代だと番組名を聞いて「あーっ!」て反応する人が沢山いると思う(笑)

こういうラジオ番組を聞いていたんだけど、ある日「THE CARPENTERS」「Please Mr.Postman」が番組でかかった!当時のTHE CARPENTERSは殆どが「THE BEATLES」のカヴァーだったんじゃないかな?彼等のこの曲を聴いたときに、こんな音楽があるのか!と衝撃を受けて聴き始めると暫くTHE CARPENTERSを聴いていた。「Karen Carpenter(Vo)」の歌声が凄く好きでね。

その後中学2年生の時に「KISS」に出会うんだけど、THE CARPENTERSに出会ったとき以上の衝撃を受けた!それからはRockにハマったんですよね。

聴くものはHard Rockばかりで「FEN」という米軍基地のラジオ番組で70年代のカッコいい曲がかかるわけですよ!英語だから何を言っているのかわからなくて、何というバンドの何という曲かもわからないんだけど、曲の最後にDJが「○○の■■という曲でした」と言うときがあってそれを急かさずメモってチェックしたりとかしてた。

こういう風にKISSと出会ってからガムシャラに洋楽のHard Rockを聴き漁っていた。
KISS、「AEROSMITH」「DEEP PURPLE」「LED ZEPPELIN」を聴いていたけど、当時LED ZEPPELINは自分にとって難しくてわからなかった。

最初はLED ZEPPELINよりDEEP PURPLEの方が聴きやすいですよね。

そう、凄く入ってきたよね。

LED ZEPPELINだと曲が横ノリだったり、リズムが後ろに溜めるようなノリがあって一聴しただけでは退屈な印象がありますよね。

そうそう、だから当時の自分にとってLED ZEPPELINの良さを理解するのは難しかった。それよりもやっぱりKISSや「QUEEN」の方が好きだったかな。確かKISSの初来日は誰かに連れられて見たんだよね。武道館の一番高い位置から見ていたと思う。

それで中学2、3年生の時に2回目の来日があって、チケットを買うために銀座の山野楽器に並んだんだよ。昔プレイガイドというのがあって、そこが開くまで外に並んで買うんだよね。
もう時効だと思うんだけど……この日は寒い日で、お酒を買って寒さを凌いだ思い出がある(笑)昔は夜中でも自動販売機で買えたんだよね。それで日本酒を買って、飲んで身体を暖めてた。

そこで何でお酒なのか?というとKISSストーリーというのを雑誌で読んだときに、彼等がまだ売れてなくて貧しい時代の話で、ストーブの燃料が買えず、寒さに耐えるためにテキーラみたいな強いお酒を飲んで身体の内側から暖めて寒さを凌いだ、という記事を思い出して友達と「よし、俺達もテキーラだ!」となったんだけどテキーラなんて売っていないから二人でワンカップ飲んだ(笑)

あとはホームレスの人に絡まれたりしてね。新聞紙敷いていたんだけど「兄ちゃん、新聞紙じゃ寒いだろ?段ボールの方が良いよ!」てアドバイスがあって(笑)「それじゃ探しに行くか!」と皆で探してた(笑)今はインターネットでピッとチケットが買えて便利になったよね。

確か3回目の来日をしたときも見たかな。KISSはロックを教えてくれたバンドだからよく覚えてる。

それでベースは中学2年生の時に始めていたけど、KISSが好きだったから最初はピックで弾いていたのね。でも友達に「上手いベーシストは指で弾くんだよ」て変なこと聞かされて(笑)

ピック弾きのベーシストで素晴らしい人は沢山いるし、そんなことはないんだけどね。

それで「そうなのか!?」と鵜呑みにしてからは指弾き。KISSも指で弾くようになった。

中学から高校に上がって「IRON MAIDEN」「Steve Hariss(Ba)」と出会うんだよね。これで「俺はこのスタイルだ!」と自分のプレイスタイルが決まったと思う。
IRON MAIDENばっかりコピーしていた!とは言ってもハマっていたのは3枚目(The Number Of The Beast)までかな?

こうして暫くIRON MAIDENに夢中になるんだけど、一方でFunkとかRock以外のジャンルも色々と聴き漁っていた。その中でも僕が特に大好きだったのは「THE BROTHERS JOHNSON」「Louis Johnson」!高校の頃に彼のスラップに感銘を受けてね、だから今だにLouis以外のスラップは認めない(笑)

スラップで有名な人が何人もいますけど、やはり人によって本物はどれなのか意見が別れるところですよね

別れると思う。「Marcus Miller」とか格好いいけど「あれは(自分にとっての)スラップじゃないな」と(笑)Louisの方が派手なんだけどMarcusの方がオシャレじゃない?フレーズもそうだし。Louisになると無骨な感じなんだけどそれがカッコいいんだよね!ボディから離れたところから弾きに行くスラップが本当のスラップだろう!というイメージがあって。(だから)Louisのスタイル以外のスラップは認めていない(笑)

ルーツでいったら「SLY & THE FAMILY STONE」の人(Larry Graham)がスラップのルーツと言われているんだけど、(好きになった、興味を持った)入り口が何であれそのルーツを知ることは大事だと思ってる。だから好きな音楽があるなら、そのルーツを辿っていってもらいたいね。そしてスラップをやる人には是非Louisを知ってもらいたい(笑)

当時の自分にはハードロックベーシストという軸があったけど、Rock以外にもLouisや「Jaco Pastorius」なんかもコピーしていたね。あと他には「Jeff Beck」のあの難しいベースラインを中学の頃必死にコピーしていたな。「Wired」の頃の曲とか「(難しくて)だめだ!」とか言いながらね。こうしてジャンルに囚われずカッコいいなというものを取り入れてやっていた。

聴いていたのは洋楽中心だったんですか?

日本だと「BOWWOW」とか「NOVELA」が好きだったな。今はNOVELAのメンバーなんだけど…

数年前にやったクロコダイルでのライブ見ましたよ。

本当?あの頃はまだ「ANGIE(五十嵐久勝)」さんをゲストに迎えたコピーバンドだったんだよ。そのあとにANGIEさんと「永川敏郎」さんがNOVELAをちゃんとやろうとなった時に呼ばれたんだよね。川崎のクラブチッタでプログレのイベントがあったんだけど、その時正式にNOVELAのベーシストになった。何回かライブもしたしね。こんな日が来るとは思わなかった。それもまさか中学の時の憧れのバンドに入るなんて思わなかったけど。

他にはBOWWOWの「山本恭二」さんとも親しくさせてもらっててね。これまた中学の頃の憧れのギタリストなんだよ?そんな人が同じステージの横にいるわけだから立っていて「あれ???」って変な気分になるよね(笑)
恭二さんと会うと「てらちーん!」て優しくしてくれるんだよ。

その一方で「EARTHSHAKER」は聴いていた。まだ僕がデビューする前だから18歳位だったかなあ?EARTHSHAKERの曲で「ありがとうを君に」があるでしょ?当時はまだレコーディングされる前だったと思うけどライブでは既にやっていたんだよね。その時組んでいたバンドのボーカルの奴がライブに行ってこっそり録音して、「『ありがとう君に』をバンドでやろうぜ!」って言い出したの(笑)彼が録音してきたものを皆で聴いてコピーして、EARTHSHAKERがレコードで発表する前に俺達はライブでやっていたの(笑)
これ「SHARA(石原愼一郎EARTHSHAKERのGt)」にも言っていないんじゃないかな?

そのボーカルの人はもしかして「市村タカアキ」さんですか?

そうそう!BLIZARDになる前の「ANGEL KISS」のボーカル。タカアキはその後「HELLEN」に参加するんだよね。
あとは名古屋の「野獣(のけもの)」とか。ギターは今「JIMI HENDRIX」の本気のカヴァーをやっている「中野重夫」さんで、最近ボーカルの「ACE」さんとも知り合うことが出来てライブもした。
他には沖縄のバンドで「紫」「CONDITION GREEN」「SAN-DIEGO」「HEAVY METAL ARMY」といったHard Rockバンドを聴いていた。この間沖縄へ行ったときに紫の「ジョージ紫(Key)」さんとセッションしたよ。
こういう日本のバンドも聴いていたなあ。

「Lazy」解散後LOUDNESSが生まれ、「44MAGNUM」やEARTHSHAKERが続いてデビューしてから所謂ジャパメタというシーンが始まり、その中で僕らがデビューするんだ。

BLIZARDデビュー

BLIZARDのデビューアルバム

実はデビューするときはまだ建築設計の専門学校へ通っていたんだよね。父親が小さい建設会社をしていたから。正直な自分の気持ちとして音楽の道を志していたけど「きっと父親の後を継ぐんだろうな」思っていて、高校卒業後は音楽をやりながら専門学校へ通っていたの。

すると専門学校の2年生の時にANGEL KISSが「Being ※1」からスカウトされたんだ。原宿のクロコダイルでのライブをしたとき、待ち時間にメンバーとロッテリアでハンバーガー食べているときに声かけられて。
でもその人はライブを見ていないんだよ?まあデビュー後を見てもらえばわかるけどウチはイケメンが揃っていたからさ(笑)
※1  B’zやZARD、WANDSなど90年代を一世風靡したバンドやグループを排出した音楽制作会社

それからはデビューだ!って話になって社長の「長門大幸」さんとも会ったりして、どんどん話が進んでいくんだよね。

でも「どうしよう」と思って、ここで人生最初のターニングポイントがやってくるわけですよ。

スカウトされたことを親にも言えず、当時は携帯電話なんてなかったから自宅に謎のBeingという会社から「功一さんはいらっしゃいますか?」なんて電話がかかってくるから親は「何だ?Beingって」となるわけで(汗)それでいつまでも隠しきれず、意を決して親にスカウトされたこと、デビューが決まっていること、実はレコーディングも始まっていることを話した。それで自分はこの世界でやっていきたいことを伝えたんだ。専門学校に行きながら音楽の道を行きたいって、自分でも最大の親不孝をしていると思っていたけど、両親は僕の気持ちを理解してくれて「好きなことをやりなさい」と言ってくれたね。それで1984年にデビューした。

実はデビューしてからも「この図面書いてくれ」って親父に言われてた(苦笑)勿論無料奉仕だけど親不孝してるから何も言えないよね(笑)

原宿でスカウトされた時はバンドで「これからプロ志向で行こうね」って話していた矢先だったから、大した下積みをしないままにデビューしちゃったんだよね。普通はライブハウスを回って苦節何年で人気も出てきて、という積み重ねででデビューするんだろうけどそうじゃなかった。だからデビューしてからが下積みって感じだったな。

デビューの経緯は「MAKE-UP」と似ていますね。

そうかもしれない。デビューも近くてMAKE-UPの方が何か月か先にデビューしていたね。
デビューしてからが大変だったなあ。右も左もわからないままこの世界にバーンと放り込まれて、ライブをやる度に翌日事務所に呼ばれてプロデューサーにダメ出しを食らって大説教されてた。

MAKE-UPの「河野陽吾」さんも言っていましたが、割と早くにデビューしたことで他のバンドにはやっかまれて当たりが強かったと。BLIZARDもそんな感じだったのですか?

似ていたかもしれない。BLIZARDもポッと出のバンドだったし、ルックスも良かったし、レーベルはアトランティックでしょ?「何であいつらがアトランティックなんだ!」ってね。
そういうのもあってバンドとしての友達は少なかったかもね。

仲の良かったバンドはいなかったのですか?

思いつくのは「RAJAS」かな?Japan Heavy Metal Fantasyというイベントの打ち上げから仲良くしてくれたんだよね。この前京都へ行ったときに「アックン(後藤昭博 RAJASのGt)」に酒を奢ってもらったし(笑)

同じBeingの人達との付き合いは無かったのですか?例えば「X-RAY」とか。

X-RAYは近い存在だったけどそんなに親しくなかったなあ。「浜田麻里」さんも一緒だったけど親しくは無かった。一部でもう話をしているけど高校生の時から知っている幼馴染で、バンドを一緒にやったこともあるし友達と一緒に家に来たこともあるんだけど、お互いデビューしてからは違う方向へ行ってしまって疎遠になってしまっていたかな。

当時のライブは対バン形式よりワンマンが多かったのですか?

ワンマンとイベントに呼ばれてのライブがあったね。

今思い出したけど「TUBE」とイベントやったことがあった!TUBEの方が少し後輩だったんだけど仲良かったね!「カックン(角野秀行)」がベースのライバル的な感じだったの。角くんもHard Rockが好きなんだけどプレイスタイルは違くて、事務所で会うと「てらちん『Jeff Berlin』コピーした?」て話しかけてきて「やった!やった!」と答えると難しいタッピングのフレーズを弾き始めるの。そのプレイを見て「あ、こっち(角野)の方が正しい(汗)完コピしてる…」と思うんだけど悔しいから「そうそう、そんな感じ」とか言ってその場をごまかしながら家に帰って練習するというね(笑)

ベーシストとしての感性であったり、アンテナが同じだったんですね。

そうだね。ある時にはTUBEと八王子にある日本大学の学園祭に出演したこともあった。会場に着くと「BLIZARD vs TUBE」て書いてあったのを覚えてる(笑)

あとは「聖飢魔Ⅱ」とも仲良かったよ。特に「ルーク篁」とはデビューする前から知っていてANGEL KISSの頃スタジオでよく会うことが多かったから聖飢魔Ⅱに入ったときは驚いた。
聖飢魔Ⅱの皆とは新宿2丁目で良く飲んでいたな。バンドがSonyにいた頃は共演とかなかったと思うけど、篁君がこれを見たら「違うよ!○○で共演したよ!」なんて突っ込まれそう(笑)

ここで急ですが「下村成二郎(Vo)」さん脱退後、新しく加入した「水野松也(Vo)」さんが在籍していた後期BLIZARDのことを聞かせてください。水野さん加入後のバンドのことを知りたくても活動期間が短かったためかあまり情報が無いので…。

水野は凄く個性的で変なやつなんだよね(笑)


第2期BLIZARD
(後列左より) 寺沢功一(Ba)、村上孝之(Gt)、村上宏之(Dr)
(前列左より) 水野松也(Vo)、松川”RAN“敏也(Gt)

中性的なボーカルだった成二郎さんから男らしいボーカルの水野さんに代わりましたが、より硬派な感じになると思っていたらとてもポップになったような気がします。

基本的な音楽のスタイルは変わっていないと思うけど、水野が入ったことでボーカルが変わったわけだから音楽もガラッと変わるよね。
他のメンバーはどう思っていたかわからないけど、僕の中では「BLIZARDが変わってしまった!」とはならなくて「新しいBLIZARDが始まった」という感じだった。
水野が入ってからやりにくかったということは無くて、水野BLIZARDも楽しかったよ。これも昔のことで思い出せないこともあるんだけど、この頃バンドとしては倦怠期だったかもしれない。結果その後解散ということになったし。だからスタジオでもダラーっと時間だけが過ぎて「何のためにやっているのか」と思うこともあったし、他にもやり様があったと思うけど若かったこともあってそういうアイデアも出ず活動休止。水野が悪かったとかじゃなく、メンバー仲も悪くなかった。

水野は凄く熱かったよ。バンド入ったばかりで気合が入っていたところ、逆に僕らがモチベーションを失っていたからね。それを見て水野は「どうしたいの?」と言っていたしイライラしていたかもしれない。水野に申し訳ないというのはあった。

どこかでタイミングが合えばバンドによっては再結成することもあると思うけどBLIZARDには無かったな。

これは個人的な推測ですがメンバーの皆さんも再結成という選択肢を考えていないのではないかと思うんですが...。

そうだね、メンバーの中には現役のミュージシャンから退いてしまった人もいるし、「RAN(松川敏也)」も行方不明だからね。

RANも含めてメンバー全員が音楽の世界で活動していれば再結成なんてこともあったかもしれないけど、解散後それぞれの道を進んでいったから中々そこからの再結成は難しかった。再発も難しい道のりだったこともあるしね。

大変だったと言いますが当時のビデオ作品も含めてBLIZARDの作品は全て再発されて当時のファンから後追いのファンまで喜んでいます。

ファンの皆さんにはこれで許してくださいって感じなんだけどね(苦笑)

それでBLIZARDの後半の時の話になるんだけど、最後のアルバム(Danger Life)のプロデュースを樋口っぁん(樋口宗孝)がやることになって、それから一緒にご飯行ったりして親しくなったりね。

そしてBLIZARDが活動休止になって自分のソロ活動が始まるんだけど、ルークのツアーに参加したり、TUBEの「前田亘輝」のソロアルバム(SMASH)でベースを弾いてPVやツアーにも参加した。他には最近人気のある俳優で「原田龍二」のサポートをやっていたこともあったね。彼ってデビューした頃は歌手活動もしていたんだよ。

「織田裕二」さん的な感じですか?

そう!俳優をやりながら歌も歌ってね。

あとあれだ!「RED WARRIORS」「小川清史(Ba)」がシンガーソングライター的なことをやっていた時にサポートしていたな。彼は今北海道に住んでいて、僕が北海道でライブがあると観に来てくれるんだよね。今は釧路でペンションを経営していて、ベースも続けている。

(しみじみと)俺も色んな事やっていたなあ。

「横須賀ゆめな」っていう歌手の子のサポートやっていて、そこでも色んなミュージシャンと知り合ったね。そこで「五十嵐公太」とも会った。今思い出したけど公太とはBLIZARDの頃に顔は合わせているな!原田龍二バンドの時もドラムで声をかけたけど「今バンドを始めたばかりで難しいな」ってことで一緒にならなかった。「どんなバンド?」って聞いたら「JUDY&MARY」で偶々時期が重なっちゃった。
ゆめなバンドでは「土屋アンナ」ちゃんや「THE MERCY BAND」のギタリストの「峰正典」とも出会った。

「Cherry(小柳昌法)」さんとも良く会ってたな。「LINDBERG」で 活躍していた頃は会わなくなっていたけど、再会するのは大槻ケンヂバンドの時。大槻が筋少を辞めた後の頃ねメンバーは「大槻ケンヂ(Vo)」「横関敦(Gt)」小柳“Cherry”昌法(Dr)「三柴理(Key)」というバンドだったな。ここからまた親しくさせてもらっている。

あと「赤羽楽団」というのがあってリーダーでVoの「山羊智詞」を中心としたセッションバンドに入った。もう離れてた頃なんだけど渋谷のエッグマンでダフ屋が出たくらい人気だったよ。「DEAD END」「湊雅史(Dr)」とか、「TV」で活動していたり「TM NETWORK」のサポートをしていた「葛城哲哉(Gt)」ともここで知りあった。これはBLIZARDが終わってSLYが始まるまでの5年間くらいの話。この時に色んな人脈が出来た感じかなあ。

投稿者: 管理者

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