江田智樹 (RE:VIBE、ex A-CHIEF、ex MANIA)Interview

2018年10月27日、目黒The Live Stationの32周年を記念したライブで一度は解散をしたバンド達がこの日のために再びステージに立った素敵なイベントがあった。AURA(既に再結成して活動中)、DEFYER(この日はVoとGtのみデビュー当時のオリジナルメンバー)、そして今回インタビューに答えてくれた江田智樹がフロントを務めるA-CHIEFだ。
現在RE:VIBEのVoとしても活動している彼にA-CHIEFや現在の音楽活動について語ってもらった。

A-CHIEFのVoとしてデビューし、現在RE:VIBEというバンドで活動していますが、最初音楽にのめり込むキッカケなど教えてもらえませんか?

江田智樹:ありきたりなんだけど、今思えば兄貴の影響ですね。五つ上の兄貴が学校で流行っているレコードを買ってきて、家でレコードをかけていたのを聴いてて、Deep Purpleが多かったんだけどその辺のバンドを聴いて「良いなあ」と思えたのがキッカケですね。

歌謡曲よりも洋楽の方が好きだったということですか?

江田:勿論俺も小学校の頃はピンクレディーとか、キャンディーズのドーナツ盤を持っていたりして聴いていたんですけど、中学に入る頃は兄貴が高校生で、所謂ロックを聴いていたのでそっちの方にシフトしていった感じですね。

その頃には楽器を始めたり、バンドを組んだりしていたのですか?

江田:親戚のお兄さんにギターを習っていました。ギターと言ってもクラシックですけどね。でもいつの間にかクラシックギターをフォークギターのようにジャラン、と弾きたいなという欲求が出てきて、缶ジュースのプルトップを使って弾いてしまったんです。ナイロン弦なのに(笑)それで傷付けて親戚のお兄さんに怒られた記憶があります(苦笑)

結局クラシックギターが面白くなくて、もっと刺激的なものを弾きたいと思っていましたね。

それで中学三年生頃にフォークギターを手に入れて、その後にDeep Purpleを聴いたのもあってエレキギターを買ったりして、高校の友達とバンドを組んでました。

フォークギターを弾いていた頃はどういう曲をやっていたんですか?

江田:フォークギターの頃は長渕剛や少し遡ってかぐや姫とかを弾いてましたね。

エレキギターに持ち変えてからは?

江田:勿論Deep Purpleをやったし、KISSとかその当時の人達がやっていたものを同じようにコピーしていました。別段変わりはないですけど(笑)

当時はヴォーカルをやっていなかったんですか?

江田:中学生の頃はフォークギターで弾き語りをやっていたんだけど、高校一年生になって軽音楽部に入ってからヴォーカルをやっていながらもドラムをやりたくなったんですよ。先輩の叩くドラムを見ているうちに叩きたくなって、一時期ヴォーカルをやっているバンドとドラムをやっているバンドを掛け持ちしていた。
部活の外でちゃんとしたバンドは組んでいなかったけど、両方やっているうちに「ヴォーカルの方が良いんじゃない?」という感じになってそこからヴォーカル一本。

高校生の時は部活でのバンド活動をしていたということですが、ライブハウスデビューはいつですか?

江田:ライブハウスデビューは高校を卒業して東京に出てからですね。田舎が群馬で当時はライブハウスとか無かったから、高校時代は友達に声かけてバンドを集めて、町のホールとか結婚式場を借り、PAを入れてライブしてました。

それで二つ上のギターやっている高校の先輩が先に東京に出ていたんです。その先輩の家に泊まりがけで遊びに行くのが楽しくて、高校卒業したら東京に出ると決めていましたね。
実はライブハウスデビューしたバンドがある種、A-CHIEFの始まりだったんです。

東京に出てきたときにそのギターの先輩からヴォーカルを募集しているからやらないか?って誘われてバンドに入ったらドラムに古道圭一がいたんですよ。これが彼との始まりで、もしこのバンドに加入していなかったらA-CHIEFは無かったかもしれない。

ライブは1、2回くらいやったけどあまり上手くいかず、そうこうしているうちにドラムの古道がLOUDNESS樋口宗孝さんのローディになるということでバンドが解散状態になったんですよ。その後俺も古道圭一の家の近くに引っ越すことになって付き合いは続いていました。

それで古道とバンドを組もうということになって、色々とメンバーを探していたら樋口さんに滝上修幸(ギター)と浅見博之(ベース)を紹介されてA-CHIEFのメンバーが揃ったんです。
この二人もローディをやっていて、それぞれが付いていたのがB’zの松本(孝弘)さんと浜田麻里さんのサポートをしていた山田友則さん。
当時樋口さんに「お前ら組め!」と言われて集まった4人という感じです(笑)

この4人のバンド名と、A-CHIEFの由来は?

江田:これも樋口さんに付けられたCHIEF(チーフ)という名前があって、樋口さんが「皆チーフになっても良いくらい実力があるからバンド名もチーフで良いんじゃないか?」と酒の席で当時松本さんと一緒にそんな話をしていたんですよ。
それで本当に少しの間CHIEFというバンド名で活動していたんです。でもこの名前がしっくりこなくて「CHIEFの前にAを付けよう」となってA-CHIEFになりました。

当時東京が活動の中心だったと思いますが、主にどんなところでライブをしていましたか?

江田:神楽坂のExplosionに出ていたけどお客さんは殆ど来ないし、知り合いを呼んで3~5人を前にライブをしていましたね。それでも曲作りとレコーディングはしていて、何曲か持っていたんだけど発表する場もなくコツコツと活動していました。そうしていると「いか天(三宅裕司のいかすバンド天国)」が始まって、それでメンバー皆「これは出るしかないね」と思った。

あの番組に出たバンドはオンエアー後のライブ動員数が段違いに変わったと言われていますが、A-CHIEFの場合はどうでしたか?

江田:最初は確かに増えた。増えたんだけど「おぉっ!?」という感じではなかった。後に人気バンドランキングみたいなものが番組内で発表されていたんだけど、それで4週連続1位とかになってから段々お客さんが増えていきましたね。それこそこの前やった目黒The Live Stationとか鹿鳴館でやったり出来るようになりました。

鹿鳴館というワードが出たのでお聞きしますが、古道さんを始めにジャパメタ界隈の人達が組んだバンドで音楽性も正にジャパメタだと思っていますが、このシーンの交遊関係はありましたか?

江田:全く無かったです。いか天に出てからデビューするまでのライブ活動はジャパメタ界の人達との共演は殆ど無く、いか天絡みのイベントに出ることが多かったですね。だからあまり絡んだ記憶がない(苦笑)

寧ろ当時流行っていたJUN SKY WALKER(S)のようなビートパンクと呼ばれていたバンドの方が多かった?

江田:そうそう、ジャパメタよりもそっち系の方が多かった。色んなイベントに出ていたのからジュンスカは共演少ないかもしれないけどね。あとはシャ乱Qとも一緒にやったことあります。

その時一緒になることが多かったバンドはありますか?

江田:目黒The Live Stationでイベントを組むようになってからはAURAとかDEFYERにRABBITとかあの辺りのバンドですね。RABBITに関してはデビュー後にツーマンで一緒にツアーをしたり、それはそれはかなりの数を一緒にやっていました。

一番仲良かったのはRABBITかなあ。

そしていよいよデビューとなるわけですが、印象的なエピソードとかありましたか?例えばレコーディングに関してもプロではアマチュア時代と違って苦労したとか………

江田:レコーディングに関しては殆ど苦労しなかったです。以前から良く合宿に行ってレコーディングをしていたのと、メンバーが皆ローディとしてプロに付いていたのもあってその点は大丈夫でした。ライブも何本も出来るようになって楽しくてしょうがないという感じでした。

となると苦労より刺激的な楽しい時間が多かったということですか?

江田:当初はいか天が関東ローカルで名古屋でも放送していたこともあって、名古屋へ良く行っていましたけど、そんなに全国津々浦々行ったことは無いんですよ。場所は北の方は行っていなくて、西や南は大阪と福岡とかそれぐらいですけどライブに明け暮れていました。

二枚目(Love Affair)の時にレコーディングのエンジニアを、1st(Rockids)の人からマイケル・チマリングという人に代えて音をガラッと変えようと新しい試みをしたり、三枚目(Nazaris)はコンセプトアルバムとしてストーリーを作ったり色んなチャレンジをしたアルバムでしたね。

A-CHIEFではアルバムを3枚作っていますが、1stはBon Jovi的なハードな音にキャッチーなメロディーが詰まった曲で固められ、2ndではそこからメロディーへ重点を置いた、そして今話されていたように3rdでコンセプトアルバムとアルバム毎に違う色を見せてくれています。

江田:1stに関してはキーボードを入れる代わりに、コーラスを厚くしようというアプローチをしたんです。2ndではあれだけキーボードが入っているんですけど、プラスコーラスでハーモニーを加えようと違う試みをして作りました。
曲で言えば1stはアマチュア時代に作った曲の集大成で、2ndはデビュー後にチャレンジして作ったアルバムです。

3rdはコンセプトアルバムですが、制作する上でどんな苦労がありましたか?

江田:ストーリーを重視するのか、A-CHIEFとしての曲を重視するのかその辺のバランスが難しかったんだけど、いざやり始めるとコンセプトがしっかりしていたお陰でそれに合わせて曲が出来上がっていった。この時のレコーディングは山奥で合宿してやりましたね。そんな感じで大変だったな、というイメージは無くて楽しかったです。架空の話の中で曲が各場面で流れるという感じですね。

だから3rdは曲が作りやすかった、楽しかったという印象です。またストーリーの主人公になりきって歌ったというのが楽しかったです。まああのアルバムは賛否両論あったんですけどね(汗)

確かに曲が今までとは違いますよね。

江田:そうそうそう(笑)ああいう形でアルバムを出せたのは良かったなと思っています。当時はああいう雰囲気のものが出せた時代だと思うけど、今やろうとしたら難しいよね。

今はアルバム単位で音楽を聴く人は少ないですからね。

江田:コンセプトアルバム10数曲を頭から最後まで聴くというと中々やらないし、今の感覚では難しいよね(苦笑)やっぱりあの時代だからこそ出来たんだなと感じますね。

3rdアルバムはこれまでとは歌い方が違うなと感じたんですが意図的にですか?これまでが綺麗なハイトーンを出す歌い方だったのが少しダーティになったというか………

江田:モロに感情を込めて歌っていたので、メロディーに沿って自分の歌い方をしていなかったです。詞の内容だったり主人公の気持ちに寄せてやっていたので、そういうこれまでの自分とは違う面を出せたのも楽しかったに繋がっています。

今も歌い方は根本的に変わっていないというか………変わらないと言った方が良いのか(笑)
今色々なバンドをやっていて、その中にトリビュートバンドがあるんですけど、結局オリジナルの歌い方にはならない、どんなに歌い込んでも自分の歌にしかならないというのが面白いというか(笑)歌い始めて30年とか経ちますけど、歌い方って本当に変わらないんだなと感じています。最近昔の歌を歌うとこの音色、この声質が俺だ!というのは保てているかなと思います。

3rdアルバムをリリースされた後から解散までどういった経緯があったのですか?

江田:時系列とかあまり覚えていないんですけど、事務所とレコード会社(コロムビア)を離れてRoute Fourteenという千葉の本八幡にあるライブハウスがあって、そこの所属みたいな形になったんですよ。そこでアルバムを出したんですけど、そこから解散までどのくらいの期間があったかわからなくて(汗)

ちょっと待ってください、4枚目があるということですか!?

江田:そう、4枚目は存在するんですけどカセットでしか出していない。

それはどうにかしてCDにして発売されないですかね?(笑)

江田:(笑)確か4枚目出すまでにかなりツアーもやっていたから3枚目出した後もそれなりに活動期間があったんじゃないかな?

その後メンバー間が上手くいかなくなり、ベースが脱退することになったんです。サポートのベースを入れて続けたりもしたんだけど、彼が多くの曲を作っていたのもあって解散しようということになりました。コロムビアを離れて一年くらいだったんじゃないかな?

A-CHIEF解散後はDEFYERのギタリストだった朝井泰生さんとMANIAを結成されています。調べたところデジロック的な音楽性とありましたが、どんなことをやっていたんですか?

江田:最初のアルバムはデジタルっぽい雰囲気だったかな。結局アルバムはこの1枚だけで、その後にシングルを6枚出してて「ベストアルバムが作れるね」とか話していた(笑)これも三年くらいかな?A-CHIEFもデビューしてから解散までこれくらいじゃないかな?MANIAの曲はYouTubeにも後期の曲が何曲かアップされてますよ。
A-CHIEFよりももっと歌がポップになっていますね。二人組のユニットだったのでドラムは打ち込みだったりだとか結構自由にやれた。

音楽性もメンバーが二人だけだから衝突も少ない?

江田:色々やって試せた。でもライブはあまり出来なかったですね。サポートメンバーを入れてやることも出来たけど、A-CHIEFほどライブが出来なかったことは心残りかな。CDの発売が先行していてそっちばかりだったから。

この当時はカラオケが流行っていたり、音楽業界が盛り上がっていたからとにかく新曲を出さなければならなかったと。

江田:そうですね、曲を出してCMソングやドラマのタイアップを取ろうとしたけど皆そこばかり狙っていくから。結局は大御所の人達に決まるんだけどね。

MANIAの後はどんな音楽活動をしていたんですか?

江田:MANIAが終わったのが31歳とかだったかな?そこから10年くらいブランクがあるんですよ。全く諦めちゃったわけじゃないんだけどMANIA解散後は自分で曲を作ったりして、1年か2年くらいあちこちにアプローチして活動をしていました。けれどプライベートの問題もあり活動できないまま10年くらい経っちゃったんですよね。

それでA-CHIEFのギターの滝上とはよく食事したりして色々話していたんですけど、バンドの話はしていなかったんですね。ある時バーで飲んでいる時にこっちから「バンドやらない?」と言ったら彼も「俺もそう思っていた!」と話が合って、その日のうちに知り合いのキーボーディストがライブやっているのを知って二人で見に行ったら、そこに今RE:VIBEのベースをやっているTakahiroがいて「二人でバンドをやることにしたから、一緒にやらないか?」と声をかけたら「やる」と言ってくれて、この時点でメンバー3人決まっちゃった(笑)
その後「ドラムはどうする?」と話し合ったときにTakahiroが「知り合いでやる気のある奴がいるからそいつに声かけよう!」と言って、1日で今のバンドRE:VIBEが出来ちゃいました。これが10年前かな?

Takahiroさんとはどこで面識があったんですか?

江田:それはそれは何十年も前に会ったのが最初で、たまたまそのライブ会場にいただけなんだよね。彼はMANIAの時にマニピュレーターをやっていたので何度も会っていたんだけどそんなに頻繁じゃなかった。ここで会えたのは大袈裟じゃなく、本当に偶然会ったんだよね。見た瞬間「ベースいるじゃん!」て(笑)ちょっとあの日は何が運命的なものがあったと思います。

メンバーが揃ってからリハーサルに入ることになって、新しくバンドを作るならA-CHIEFみたいなものじゃなくて皆がやってみたいものをやろう!ということになった。俺も色々CDを買って聴いていたから。それで皆で一致したのがHoobastankだったんです。それで曲を覚えてスタジオに入ったんだけど、滝上が「Hoobastank!あれが良かった!」と言っていたんですね。滝上によるとギターのチューニングがレギュラーチューニングではないらしくて(全て半音下げで、6弦のみさらに1音下げなど変則チューニングが多い)、それが楽しかったみたいです。これがバンドの原動力になりましたね。音を出していて楽しい、という感覚。この時レギュラーチューニングの曲をやっていたらバンドは続かなかったかもしれないですね。ここでも音楽の出会いがありましたね。

Hoobastankとはまた江田さんのヴォーカルスタイルとは違うものですよね。やはりいつもの自分の歌い方をしていたのですか?

江田:どう聴こえていたのかわからないけど、自分のスタイルとは違うので新しい気付きの部分があったりして楽しかったですね。自分のヴォーカルは、昔から大好きで聴いていたJourneySteve Perry寄りのスタイルなんだけど、Hoobastankはそれとは違うものだったからそれが良かったかなと思います。

そうやって個々に新しいモチベーションを持つことが出来たと。それで現在までの間に活動休止の期間がありますが何が起きたのですか?

江田:他にも要因はあるけどメンバーの健康上の問題ですね。元気じゃなくなったというか、ミュージシャンをやるには一日の時間が足りないんです。それこそ寝る間を惜しんで曲作りをしたりするわけで、そういうのは年齢と共にキツくなってくるんですよね。それでリタイアするメンバーも出てきた。だから今でもRE:VIBEにギターの正式なメンバーはいないんです。そうなると中々バンド全員でやるよりもベースのTakahiroと二人で活動することが多くなって、バンド結成10周年を機に正式なメンバーを決めたかったんですけど難しかったですね。

この前のA-CHIEFのライブで滝上さんはまだステージに戻れる状況ではないと話されていましたが、お二人としてはやはり戻ってきて欲しいという思いはありますか?

江田:勿論!彼のギターは本当に彼にしか出せない音なので、彼にギターを弾いてもらえたら本当に嬉しいんだけどね。

2018年11月にRE:VIBEとして久し振りに2本のライブをされていますが、どうでしたか?

江田:10ヶ月振りくらいですね。以前だったらライブの1カ月前とかでも予定を入れることが出来たんだけど、最低でも半年前から決めてもらわないと難しいんですよね(苦笑)
今回は8月にライブを決めて、それで動き始めてからどうせならレコ発にしようとしたのはいいけどスケジュールが大変でした。

前回もそうなんだけど今回もドラムは生のドラムを入れることにして、スタジオを借りてちゃんとレコーディングしました。A-CHIEFをやっていた当時から仲の良かったRabbitのドラム林利樹が、今はRE:VIBEに加入していますからね。打ち込みだったら楽なんだけど、メンバーにドラムがいるのだから生の方が良いので。
今回のレコーディングはベースのTakahiroが全部やったんですよ。2曲作ったんだけど歌詞に時間かかっちゃって、完成したのがレコーディングの二日前。英語詞だから発音から何から二日間で仕上げなきゃならなかったんだけど、俺も良くやったなと思うよ(笑)
最新シングル「Faith」

ヴォーカルのディレクションもTakahiroさんがやったんですか?

江田:そう。気の知れた人がディレクションしてくれるとこちらも安心ですよね。二日前に詞が出来ようが、スタジオで何時間かやれば形になるだろうと。

バンドのメンバーとしてだけでなく、ヴォーカリスト江田智樹を表現する相棒でもあるということですね?

江田:そうそうそう!彼がいないと自分のやりたいことが表現出来ないし、モノにならないというか。

RATTStephen PearcyにとってのBeau Hillみたいな?

江田:そうそうそう(笑)そうなんです。そういう感じで彼とはずっと一緒にやっています。だから今楽しいですよ。こうやってこの年齢まで歌うことが出来ていますから。この先どれくらいまで出来るのか考えるとちょっと怖いんだけど(苦笑)

今回の新曲は書き下ろしですか?

江田:2曲のうち1曲は何年か前に作った曲を詞を全部変えて作ったもので、もう1曲は今回作った曲。1枚目のCDは配信しているんですけど、今回の新曲はCDのみです。

ここで音源のお復習をしたいのですが、RE:VIBEとしてリリースしているものを教えて下さい。

江田:全部で5曲。1stで2曲、今回のCDで2曲、それとオムニバスアルバムに参加したときの1曲です。

そうすると音源を手に入れる方法はライブ会場ということですか?

江田:今のところそうです。今回はそれなりにプレスしたので入手困難ではないと思います。今後配信もしようと考えています。

江田さんの活動の中にはRE:VIBEの他にMichael Schenker Group(以後MSG)のトリビュートバンドもありますが、どのような経緯で始まったんですか?

江田:4月にメロハーバンドのカバーをやったんですよ。Facebookでメンバーの奥さんがA-CHIEFのファンだったみたいで友達になったのがキッカケで知り合いました。これが無かったらこのバンドをやっていなかったと思うと悲しくなる。話を戻してその時ベースを弾いていた渡辺さんがMSGをやっていて、そのバンドのヴォーカルが辞めてしまったので俺に参加して欲しいと打診があったんですね。それで参加してみたらお客さんのウケが良くてね(笑)

Michael Schenkerって活動が長いじゃないですか?その間何人ものヴォーカルが参加していて、初期のGary Bardenの頃しか知らなかったんだけどMcAuley Schenker Groupの曲をこの時に初めて聴いたんですよ。「こんなことをやっていたのか!?面白いな」と思ってこの時期の曲を増やすことになったんです。曲も俺の声質とも合っているんですよね。それで反響があって何ヵ所か声がかかって久し振りに大阪へ行きましたよ(笑)このバンドは結構楽しいです。もう30年振りくらいにMichael Schenker歌ったなあ。ちょっと不思議な感覚だったのが、スッと入りやすかったのとMcAuley Schenker Group時代の曲を初めて聴いて「凄いな!」というのでこれはまた良いオモチャを手に入れたぞ!と(笑)

因みに気になっていたんですがMSGをやるキッカケになったメロハーバンドカバーのライブはどんな曲をやっていたんですか?

江田:Bon Joviをやったんだけどトップの方に上がってこない曲で「Born To Be My Baby」とか、Steve Perryの「Oh Sherrie」、あとはEuropeの「Rock The Night」とかLoverboyの「Working For The Weekend」といった凄く凝った選曲で「これぞメロハー」といったセットリストでした。Andy Tylorの「I Might Lie」、Bad Englishの「When I See You Smile」なんかもやったかな。

一部マニアックなのも含めて良い選曲ですね!

江田:楽しかったんでまたやろうよと話していたんだけど、メンバーが忙しくて揃わなくて流れちゃった(苦笑)また今年辺りにやれたら良いなと思っています。

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