OUTRAGE 丹下眞也(Dr) が選ぶAlbum 20選
丹下眞也
JAPANESE METALシーンの中核をなすOUTRAGEのDr。OUTRAGEとしてこれまで12枚のAlbumとEPやCompilationを計13枚リリースしている他、別バンドCERBERUSで1枚のMini Albumと1枚のAlbumをリリースしている。
OUTRAGE Official Site
2017年にバンドデビュー30周年を迎えたOUTRAGEのDr丹下眞也へInterview!
30周年ということで丹下のルーツを知るため自身の好きなAlbum、コレは良いぞ!というAlbumを挙げてもらった。次作のレコーディングに向けて忙しいところ20枚分もの回答をくれたので雰囲気を残すためそのままに公開。それぞれAlbumにまつわるエピソードや好きな点について語ってくれ、丹下眞也というミュージシャンをより知ることの出来る内容だ。
(アルバムタイトルをクリックすると画像の確認が出来ます)
1. METALLICA / KILL ‘EM ALL (1983年)
説明不要のモンスターバンドの1983年デビュー作。
HM/HRバンドとして初めてビルボードの1位を獲得したQUIET RIOTのMETAL HEALTH発売の4ヶ月後に発売され、当時コアなメタラーの間で話題になったもののヒットに至らず、後年METALLICAの大躍進と共に評価されるようになったMETALを語る上で避けることの出来ない1枚。
丹下:このアルバムがなかったら今のメタルはどうなっていただろうか。
高校生の時、サンフランシスコに留学に行った友人が持ち帰った1冊のファンジン。まだデビューする前のMETALLCAが載っていた。
アメリカはMOTLEY CRUEやRATTのようなケバケバしいバンドばかりかとと思っていたら、ファンジンの中にはMOTORHEADの『OVERKILL』のシャツを着た少年が自分達と同じようにMOTORHEADフリークのバンドがアメリカにもいるんだと親近感が沸いた。そしてこのアルバム。スピード感、曲の緊張感、とにかく全てが斬新で格好良かった。それ以来ずっとMETALLICAファン。
2. THE CULT / DREAMTIME (1984年)
Ian Astbury(Vo)とBilly Duffy(Gt)を中心に結成。後にGUNS N’ ROSES、NEUROTIC OUTSIDERS、VELVET REVOLVERへ参加するMatt Sorum(Dr)が在籍していたこともある。
結成当初はSOUTHERN DEATH CULTと名乗り、DEATH CULT→THE CULTと名前を変え、THE CULTとしての1st Albumになる。この頃は後に人気を獲得する頃のHM/HRサウンドとは異なるPOST PUNK/GOTHICサウンドだが粘っ気のあるサウンドは当時から変わらない。
丹下:居酒屋で知り合った音楽好きの女性2人組。居酒屋が閉まった後に彼女たちの部屋で飲み直そうという流れになった。
1人の女の子は真っ黒のドレスで、目の周りも黒くメイクをした今で言うゴシックの女の子。部屋に貼ってあったポスターに「このバンドは誰?」と質問してみたらゴシックの女の子は「これはSOUTHERN DEATH CLUTというバンドだけれど、今はTHE CULTというバンド名でやっている。」と教えてくれた。そのTHE CULTをその場で聞かせて貰った。
浮遊感があるサウンドはこれまでに聴いてきた音楽にはなかった。
3. IRON MAIDEN / IRON MAIDEN (1980年)
NWOBH(New Wave Of British Heavy Metalの略)を代表するバンドのデビュー作。PUNKにも影響を受けたボーカル、サウンドとこれまでのバンドにはない疾走感のある曲、単音リフ、ハモるツインギター、プログレッシブな曲展開とリスナーを飽きさせない。バンドの歴史の始まりとして充分なインパクトを持った1枚。
丹下:まずは、子供には1stアルバムのジャケットデザインが強力だった。MAIDENのパッチやバッジなど、その当時は名古屋で買えなかった時代。渋谷にあったパンクショップでEDDIEの顔のバッジなど沢山買った。
それまでにあったハードロックの全ての魅力を詰め込みながら、ハードロックの新しい破壊力を合体させたようなアルバムだと思う。
PAUL DIANNO脱退後、どのようにバンドがなっていくのか心配ではあったが、その後も最高なサウンドを出し続けているMAIDENを本当にリスペクトしている。
4. MOTORHEAD / NO SLEEP ‘TILL HAMMERSMITH (1981年)
デビューしてから作品を出すごとにチャートと人気が上昇、前作が名盤「ACE OF SPADES」とバンドの黄金期に発表された初のライブアルバム。当時の勢いを感じさせるテンションの高いプレイはスタジオ盤以上に曲の魅力を放っており、当時交わることのなかったメタラーとパンクス双方に支持されたのも納得のクオリティである。当時の熱狂を真空パックしたライブアルバムのお手本的作品。
丹下:中学生の頃はライヴ・アルバムの臨場感大好きだった。自分のライヴの経験といえば地元のライブ・ハウスぐらいなもの。会場にいる妄想をしながら聴いていた。
SCORPIONSの『TOKYO TAPES』、DEEP PURPLEの『MADE IN JAPAN』、JUDUS PRIESTの『PREIST IN THE EAST』、UFO『STRANGERS IN THE NIGHT』、THIN LIZZYの『LIVE AND DANGEROUS』やLED ZEPPLINの『THE SONG REMAINS THE SAME』をよく聴いていた。
その中でも一番沢山聴いたのがこれ。邦題通りの極悪サウンドを夜な夜なラジカセにヘッドフォンで聴いていた。
5. BON JOVI / BON JOVI (1984年)
全世界で人気を博すロックバンドのデビュー作。母国アメリカよりも先に日本で人気を獲得したのはJON BON JOVIとRICHIE SAMBORAの生み出す良質のメロディーにある。当時より幅広い音楽性になってもメロディー派のリスナーを満足させるそのクオリティは常に高品質。その後のヒットを予感させる1枚。
丹下:意外に思われるかもしれないがJON BON JOVIの声は大好きだ。
高校生の時に地元名古屋の国際ホテルで出待ちしてサインを貰った。当時部屋にもポスターを貼っていたくらい大好きだった。
コンサート会場で出会ったアメリカ人男性と意気投合して、居酒屋に行き2人ともに泥酔。翌朝自分の部屋で目覚めたアメリカ人男性が、天井のBON JOVIのポスターを見て女性の部屋の来てしまったと思ったらしい。
6. U2 / WAR (1983年)
全英1位を獲得したバンドの3rd Album。今日のU2のイメージとなる「社会・政治問題に対するメッセージソングを作るバンド」が決定付けられた作品でもある。音楽性は当時のNew Waveに位置付けられているが先述のメッセージソングであったり、ギタリストのTHE EDGEの浮遊感あるプレイなど際立った個性から、その存在感は他を凌駕している。
丹下:デビュー当時はポストパンクのような存在だったU2にそれほど興味を持っていなかった。
有名な曲を知っている程度の知識しかなかった。大ヒットした『JOSHUA TREE』から遡っていくと、『JOSHUA TREE』の大陸的な力強さも良いが、それ以前のアルバムの繊細さがアイルランドの空気感を表しているようで気に入った。
7. THE DAMNED / MACHINE GUN ETIQUETTE (1979年)
日本ではPUNK御三家(他はSEX PISTOLS、THE CLASH)の一つとして語られ、世界で最初にPUNKのレコードを出したことで知られるバンドの3rd Album。前作発表後に一度解散しており、再結成後初めてのAlbumだがメインのソングライターが脱退したギタリストからCaptain Sensible(Gt、しかし1stと2nd発売時はBa)に代わったことでこれまでより曲がポップで聴きやすくなっており、OUTRAGEもカヴァーした「LOVE SONG」が収録されている。
丹下:THE DAMNEDを最初に聴いたのは阿部の兄貴の部屋での事。兄貴が留守の間に内緒でレコードを掛けてバンドをチェックしていた。兄貴のコレクションは基本的にハードロックが多かったが、SEX PISTOLSと一緒にTHE DAMNEDとTHE PLASMATICSなどもあった。1曲目と2曲目がMOTORHEADに近い音像だったので直ぐに気に入ったが、『I Just Can’t Be Happy Today』などもとても良い曲だと思った。当時はあまり音楽に対する知識もなかったが、それが素直にTHE DAMNEDの音を受け入れていたと思う。
8. GBH / CITY BABYS REVENGE (1984年)
イギリスで結成されたHARDCOREバンドの2nd Album。HARDCORE特有の疾走感のある楽曲で突っ走る様は爽快で同時にキャッチーさも持ち合わせている。PUNKよりも過激なギターサウンドに魅せられるメタラーも多く、THRASH METALバンドのメンバーからフェイバリットに挙げられること多数。
丹下:最初にGBHの存在を知ったのはバンク雑誌『DOLL』だった。スパイクヘアにスタッドが付いた革ジャン。そしてメンバーがMOTORHEADのシャツを着ていた事も目を引いた。そして音をチェックすると鋭いドラムビートにのったメタリックなギターサウンドに衝撃を受けた。
初来日公演も観にいったが、そのエネルギーにぶっ飛んだ。
9. THE POGUES / IF I SHOULD FALL FROM GRACE WITH GOOD (1988年)
アイルランドの伝統音楽+PUNK=最高のダンスミュージック!THE POGUESの3rd Albumは軽快なリズムとケルト音楽が融合することでこんなに無意識に身体が動いてしまうものなのか?と思わずにいられないほど聴いていて楽しくなる1枚。とにかく脳ミソ空っぽにしてお酒を片手にリズムとメロディーに委ねていれば心地良いこと間違いない。
丹下:OUTRAGEのオリジナル・シンガーの伊藤千豊から「これ丹ちゃん、絶対好きだと思うから聴いてみたら」と 1本のカセットテープを頂いた。その時の彼からの説明は「バンド名の由来は俺のケツにキスしろ」の一言。
どんなサウンドなのかと思い、カセットを聴いてみたら完全に想像を裏切られた。トラディショナルな要素が強いが歌は完全にパンクロックしていて気に入った。バンドの映画『SHANE』も大好きだ。
10. TWISTED SISTER / UNDER THE BLADE (1982年)
派手なメイクとキャッチーな楽曲で人気を博したバンドの1st Album。全盛期を迎える過程だがクオリティは高い。この時はまだ硬派なMETAL色が強いが後に人気を獲得するグラマラスでキャッチーな要素は既に見え始めており、そのバランスが素晴らしい良盤。
丹下:今一番観てみたいバンド。それもこのアルバムの当時のメイクアップで。
果たして夢は叶うか。過去に1度しか観た事はないが、ライヴは強烈だった。
『STAY HUNGRY』も良いアルバムだが、発売された当時はエッジがなくなっていて、少しがっかりもした。
11. AC/DC / BACK IN BLACK (1980年)
オーストラリア出身のHARDでROCK、BOOGIEなバンド。AngusとMalcolmのYoung兄弟を中心に結成され、現在まで大きく音楽性を変えること無く活動中。アルバムはこれまでリードVoだったBon Scottの急逝から元GeordieのBrian Johnsonを新たなVoに迎えての復活第一段。今もライブのレパートリーとなっている曲も多く、第二期黄金時代の幕明けである。
BON SCOTT時代も最高だし、BRIAN時代も最高だし。AXLさんがヘルプしたのも、かなり良いセンいってるとの噂だが、怖くてチェックできず仕舞い。
イギリスのDOWNLOAD FESTIVALで観たAC/DC、トイレに行きたくなるから頑張ってビールも飲まずにほぼ最前列でバンドの出番を何時間も待つ。ライヴが始まった瞬間に大きな体格の外国人が各々のタイミングで飛び跳ねた。小さな日本人は押しつぶされそうになり、圧死しそうになり、あえなく最前列から撤退。
12. FLOWER TRAVELLING BAND / SATORI (1971年)
内田裕也プロデュースの日本語ロック創世記に活躍したバンド(しかしバンドの曲は全て英語詞)。3オクターブの声を持つジョー山中のVoを始め、メンバーの演奏技術には定評がある。当時日本より海外で高く評価されており、アルバムはアメリカのアトランティックより発売され、シングル「SATORI Part.2」はカナダのチャートにランクインしている。東洋的なメロディーに乗るVoが放つインパクトは絶大で唯一無二の個性を確立している。
最初にFLOWERに出会ったのは、デビュー当時のマネージメント会社の社長であり、音楽評論家の伊藤政則さんのお勧めだった。
このバンドのカヴァーを1stアルバムに収録しないかと提案があった。『SATORI PART 2』を聴いてみて、この曲をOUTRAGE流にするのは難しいかなと思った。他の曲を聴いてみると『SLOWLY BUT SURELY 』はギターのリフが繰り返されるので、カヴァーできるのではと思った。
OUTRAGEの曲の中でいくつかFLOWERから影響を受けて作ったパートがあるので、是非探してみて欲しい。
13. LAZY / 宇宙船地球号 (1980年)
アイドルバンドとしてデビューし、絶大な人気を博していたバンド(メンバーの自宅にファンが忍び込み、下着を盗まれることも)が一変、「ヘヴィメタル宣言」をして発表した(結果的に)解散前最後のアルバム。デビュー前からメンバーの確かな演奏力に定評があったがその実力が如何なく発揮され、プログレッシブな展開の曲など新しいLAZYがここにはある。しかしこれまで培ってきたものが生かされて激しいだけじゃなく、メロディーがしっかり練られて作られている。
丹下:中学生の時に聴いた『DREAMER』のイントロ。フランジャーか何かエフェクトが掛けられたギターが格好良いと思った。ハードロックではあるがポップさ、キャッチーさもあって何度も聴いた。
『僕らの国でも』の歌詞が心に響き、生徒手帳に書き込んだ記憶がある。
14. SHINEDOWN / THE SOUND OF MADNESS (2008年)
アメリカで結成されたロックバンド。昨今のモダンな音作りにヘヴィなうねりの曲だけでなくアップテンポな曲、メランコリックな曲とバラエティー豊かな曲で構成されているがどの曲もメロディーがしっかりあって聴きやすい。LOUD PARK16ではタイトな演奏でオーディエンスを熱狂させている。
丹下:ここ10年くらいの中で一番好きになったハードロックバンドかもしれない。売れ線といってしまえば、確かにその通りではあるが、歌のメロディーも好みだし、ブレント・スミスの声量も素晴らしい。
また昨年LOUD PARKで観たライヴも圧巻だった。アウェイな状況にも関わらず、全く手を抜く事がないパフォーマンスのとても好感を持った。日本で人気が出ない理由がなぜなのか知りたいくらいだ。
15. AMARAL / Una pequena parte del mundo (2000年)
スペインの女性Voとギタリストの二人組グループによる2nd Album。歌詞はスペイン語で歌われており、POPな楽曲にラテンのフレーバーが加わることで個性を感じさせる。バックの音は完全にPOPSで、上に乗っかる歌詞によってラテン的なボーカルメロディーであったり、英語圏のと変わりない感触のPOPSのメロディーだったりと非英語圏ならではの魅力がある。
丹下:6,7年前だったか。初めてスペインのマドリッドに行った。バルに入るとスペイン語の音楽が流れていた。それまでスペイン語の音楽と言えばBARON ROJOを聴いていたくらい。
バルで聴いた音楽の言葉の響きが心地よく感じた。帰国してからスペイン語のロックを検索してみて、気に入ったのがAMARALだった。いつか生で観てみたいバンドだ。
16. JERICHO / JERICHO (1972年)
イスラエルのHARD ROCKバンドの唯一作。国が違うからかLED ZEPPELINなどの英国バンドとはまた違った雰囲気を持っており、所謂B級に分類されると思われるがメジャーデビューしているだけあり耳を惹き付けるメロディーが随所にある。またこの時期にイスラエルからこういったバンドが現れてきたというのも面白い。OUTRAGEでこのバンドの曲もカヴァーされている。
丹下:いつどこでJERICHOの事を知ったのか記憶がないが、地元・大須にレアなレコードを販売しているお店があったので、そこだったのかもしれない。一時期70年代のバンドばかりさかのぼって聴いていた時期があった。
イスラエルのバンドという認識があって聴いたのかどうかも覚えていないが、1曲目の無骨なサウンドから、オーケストラが入る美しい曲まで、音の幅の広さや変拍子を多用する所も好きだった。
17. BAD RELIGION / GENERATOR (1992年)
アメリカのロサンゼルスで結成されたメロコアバンドの6作目。反宗教的な姿勢と政治色、メッセージ色の強い歌詞などこれまでのPUNKを地で進みながらもメロコアという新しいジャンルを確立していった。またVoは実際に大学教授としての顔も持ち、Gtの一人も世界的に有名なインディレーベル「Epitaph」の社長でもある。
丹下:最初にバンドの存在を知ったのは91年にドイツにレコーディングに行った時だった。
ダウンタウンにライブの告知ポスターが貼ってあった。十字架に禁止マークがポスターに掛かれていたのがとても印象的だった。帰国してから調べてみたら、スラッシュ・メタルにも通じるスピード感で、直ぐに好きになった。
フランスでバンドを観た事があるが、その会場が後にテロの標的になってしまい、悲しかった。
18. ANVIL / HARD ‘N’ HEAVY (1981年)
カナダのHEAVY METALバンドのデビュー作。疾走感のある楽曲など数多くのバンドに影響をあたえたとして(特にTHRASH METALの元祖的な存在として語られる)リスペクトされている。Lips(Vo&Gt)とRobb Reiner(Dr)の不動の二人を中心にMETAL一筋の音楽性が変わること無く現在も活動中で近年公開された映画によって再評価されている。THE ROLLING STONESのカバーも収録。
丹下:勝手にLIPSの事をLIPS兄さんと呼んでいる。まだ『BURRN!』が創刊される前の事。メタルに関しての情報収集は主に『音楽専科』だった。当時から有名なRAINBOWのようなバンドはインタビューも掲載されたりしていたのだが、アンダーグラウンドなバンドは2ページの中に小さなニュースが載っているだけだった。そこにはカナダからのANVILというバンドがデビューするという情報が。その後日本盤が出た。すさまじいドラミングに圧倒された。
19. MICHEAL SCHENKER GROUP / THE MICHEAL SCHENKER GROUP (1980年)
UFO脱退後、短期間SCORPIONSに在籍した後に始めた自身のグループのデビュー作。彼の特徴である哀愁漂うギターをこれでもかと聴くことの出来る名盤。代表曲の「ARMED AND READY」「INTO THE ARENA」など才能が爆発している。またレコーディングにDon Airey(Key)、Simon Phillips(Dr)という一流が参加している。
丹下:自分はドラマーなのにギターリストばかりに耳と目がいっていた。
RANDY RHODESやGARY MOOREやEDDIE VAN HALEN、JOHN SYKESなどギターヒローと呼ばれる人達が大好きだった。MICHEAL SCHENKERのギターのトーンも大好きだった。
UFO時代にも沢山大好きな曲があるし、現在のMICHEALのプレイも大好きだ。80年代MICHEALが大人気だった頃発行された『飛翔伝説』は今でも宝物。
初来日の時にホテルで出待ちして、サインを書いて貰ったMSGのシャツも宝物。
20. DAVID BOWIE / THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND THE SPIDERS OF MARS (1972年)
David Bowieの代表作の一つで彼は異星からやって来たスーパースターという設定になっている。Bowieのグラムロック期を象徴するAlbumで収録曲はジャンルを問わず様々なアーティストにカバーされている。またレコーディングが終わりレコード会社へマスターテープを送ったところ「シングル曲が無い」と却下され、直ぐに「STARMAN」を作り上げてリリースに至ったというエピソードがある。
丹下:高校の頃、名古屋の繁華街にロックが流れるディスコ(今で言うならクラヴ)ができ、時々ハード・ロックも流れるという噂を聞いた。結局はロックと言ってもDURAN DURANやCULTURE CLUBにDAVID BOWIEの『LET’S DANCE』くらい。時々HANOI ROCKSやTHE CLASHが流れるくらいではあったが、知り合いのお兄さんが働いていて、無料のチケットでただ酒が飲めるからと、夜な夜な通っていた。
その当時DAVID BOWIEに良い印象はあまりなかったのはやはり『LET’S DANCE』だったから。
大人になって古いアルバムを聴き、歌声の素晴らしさ、曲の素晴らしさを知りファンになった。これまで1度しかライブを観た事がないが、歌っている姿が神々しかった記憶がある。
以上挙げられた20枚はいかがだったろうか。OUTRAGEの音楽にこれらの要素を感じることもあれば、バンドの音楽から想像できなかった意外なものがあったかもしれない。メロディアスな曲のバンドが挙げられていることからOUTRAGEの曲のメロディが良いのは、(筆者の想像だが)丹下のドラムがメロディが活きるようにプレイしているからではないだろうか。このようにルーツを知って改めてバンドの曲を聴き返すと「○○の影響かな?」という新しい発見からより楽しめるだろう。